東京高等裁判所 平成3年(ネ)3831号 判決 1992年5月27日
控訴人 株式会社 東京創栄
右代表者代表取締役 浦尾清美
右訴訟代理人弁護士 中村光彦
被控訴人 大創株式会社
右代表者代表取締役 大塚攘治
右訴訟代理人弁護士 斎喜要
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 当事者の求めた裁判
(控訴人)
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
4 被控訴人は、控訴人に対し、被控訴人が本件手形判決の仮執行宣言に基づき給付を受けた金員を支払え。
(被控訴人)
本件控訴を棄却する。
二 当事者の主張
(被控訴人の請求原因)
1 被控訴人は、原判決別紙手形目録記載の約束手形三通(以下「本件手形」という。)を所持している。
2 控訴人は本件手形を振り出した。
3 本件手形は、支払呈示期間内に支払場所に支払のため呈示された。
(控訴人の認否)
請求原因事実はいずれも認める。
(控訴人の抗弁)
1 控訴人は、平成二年一二月五日、被控訴人を被告として東京地方裁判所に対し、昭和六三年三月一日付けの継続的商品販売契約の債務不履行に基づく損害賠償金二六四八万〇三三一円(以下「反対債権」という。)の支払いを求める訴訟(同庁平成二年(ワ)第一五三九一号。以下「別件」という。)を提起し、被控訴人は、平成三年四月三日本件訴訟を提起した。同月二五日、控訴人がした別件における反対債権の一部を自働債権とし、本件訴訟にかかる約束手形金債権を受働債権として対当額において相殺する旨の意思表示が被控訴人に到達したので、控訴人は同年一二月一〇日、別件において右相殺にかかる金額相当分につき請求を減縮した。
2 右相殺の意思表示により、被控訴人の本件約束手形金債権も右相殺額に相当する分だけ消滅したとみるべきである。なぜなら、この場合に相殺の抗弁を認めないとすると、控訴人は被控訴人に対して本件手形金をいったん支払わなければならず、後日被控訴人から反対債権の支払いを受けることができるとしても、当初の支払いのために重要な資産を失う事態に立ち至る可能性もあり、当事者にとって防御方法としての相殺がもつ意味が失われるからである。また、訴訟経済の見地からすれば、相殺の抗弁を却下するよりは両訴訟の併合を考えるべきであるし、審判の矛盾をすべて否定することには現行民事訴訟制度上無理があり、二重判決取得の虞れについては、被控訴人が相殺の意思表示の到達を了知しているから考えられないところである。
(被控訴人の認否及び主張)
1 抗弁1の事実は認める。
2 同2の主張は争う。
本件訴訟において控訴人主張の反対債権の存否を判断するためには、別件での訴訟資料と全く同一の資料を本法廷に提出し同一の証人を尋問するなど二重の審理をしなければならないから、訴訟経済の要請に反することは明白である。また、反対債権の存否について審判する結果、これについて既判力が生ずるから、両事件の審判の間に矛盾を生じる虞れがあるほか、反対債権につき二重の判決を取得し、二重起訴禁止の法理に抵触する虞れがある。
三 証拠《省略》
理由
一 請求原因事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、控訴人の抗弁につき判断する。
1 抗弁1の事実は当事者間に争いがない。
右争いのない事実、《証拠省略》によれば、控訴人は被控訴人に対して平成二年一二月五日別件を提起し、反対債権を主張して訴訟係属中であったところ、翌三年四月三日被控訴人は控訴人に対して本件(手形)訴訟を提起し、同年六月一二日勝訴の手形判決を得たが、控訴人の異議申立てにより通常訴訟に移行したこと、控訴人は、通常訴訟移行前の同年五月二二日の原審第一回口頭弁論期日において、控訴人主張の同年四月二五日にした相殺の意思表示に基づく右相殺の抗弁を記載した答弁書を陳述していたが、原審裁判所は同年九月一三日をもって弁論を終結し、同年一〇月一八日右手形判決を認可する判決を言い渡したこと、その同年一二月一〇日、控訴人は別件において、反対債権にかかる請求のうち本件手形金債権相当額につき請求の減縮をしたことが、それぞれ認められる。
2 民事訴訟法二三一条は、審理の重複による無駄を避けて訴訟経済を図り、複数の判決において相互に矛盾した既判力ある判断がされるのを防止する見地から重複起訴を禁止しているものと解されるところ、相殺の抗弁において主張された自働債権の存否についての判断が相殺をもって対抗した額について既判力を有するとされていること(同法一九九条二項)、相殺の抗弁が提出された場合においても自働債権の存否につき矛盾した判決が生じ法的安定性を害しないようにする必要があるけれども、理論上も実際上もこれを防止することが困難であることを考慮すると、同法二三一条の趣旨は、同一債権について重複して訴えが係属した場合のみならず、既に係属中の別訴において訴訟物となっている債権を他の訴訟において自働債権として相殺の抗弁を提出する場合にも同様にあてはまるというべきである(最高裁昭和六三年三月一五日第三小法廷判決・民集四二巻三号一七〇頁、同平成三年一二月一七日第三小法廷判決・民集四五巻九号一四三五頁)。
3 これを本件についてみると、控訴人の相殺の抗弁はその唯一の防御方法であるところ、これを審理するとすれば、本件訴訟においても別件におけると同じ主張立証を尽くすことが必要不可欠となり、審理の重複と長期化を招くことは避けられない。
控訴人は、別件において本件約束手形金に相当する額につき請求を減縮したから二重起訴とならないと理解するようである。たしかに、右減縮が行われた結果、その段階で別件において訴訟物となっているのは反対債権の総額から本件で自働債権として相殺に供した額を差し引いた残余の額に相当する反対債権のみとなったため、仮に本件において右相殺に供した自働債権の審理判断をするとしても、形式的には別件と別個の訴訟物について審理判断をすることになるから、理論上は既判力の抵触は生じないということにはなるであろう。しかしながら、その場合においても、実質的に審理判断の対象となるのは反対債権の全体(少なくともその重要な部分)なのであるから、前記のような審理の重複による無駄を避けることができないのは、一般の二重起訴の場合と異なるところはない(いったん減縮した請求を状況により再び拡張することも別件の判決があるまでは可能であるとの考え方の下に、別件の受訴裁判所がこれを許すときは、既判力の抵触の危険も生じることとなる。)。控訴人は、別件において反対債権の総額について訴求していたのであるから、本件において前記のように相殺の抗弁を提出した段階においてそれが不適法であったことは明らかであり、その後請求の減縮がされても、右に判示したような危険は解消していないのであるから、このような請求の減縮があったからといって本件における控訴人主張の相殺を適法とすることはできない。
なお、控訴人は、被控訴人が相殺の意思表示の到達を了知しているから、二重判決取得の虞れはないと主張するが、控訴人の反対債権につき争いがあり、別件が係属している以上、互いに異なる判決がされる可能性は否定できないし、本件訴訟において右相殺の抗弁の提出を許容しなければ控訴人にとって著しく不利益となるような特段の事情も認めることができない。
4 控訴人は、以上のように解するときは、実体法上相殺をすることができる反対債権があるのにもかかわらず、訴訟法上これを抗弁として提出することにより相殺の担保的機能を享受する途を封じられることとなり、対等な私人間における利害の均衡を失する旨を主張するが、このことは、相殺の抗弁について民事訴訟法二三一条の趣旨の適用を可否を論ずるとき常に問題となることであって本件に特有のことではなく、前記最高裁判所判決の説くところはこの点も考慮した上でのものであると考えられるので、控訴人の右主張を採用することはできない。
三 そうすると、原判決は正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤滋夫 裁判官 伊東すみ子 水谷正俊)